2000/1(平成12年) 大好きだったサッカー選手との別れ++
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この頃には、ある媒体を通じて奇跡的にもその選手と会話が出来るキッカケがあり、仲良く?なれたのと、 何度も練習場へ足を運んでいた事から、彼とは顔見知りの仲になれていた。
それだけに、移籍の発表にはショックが大きかった。
せっかく練習場通いも軌道に乗ってきてスタジアムでの試合観戦も夢じゃないと思い始めてた所だったのに…。
「私が大阪へ行かない限り会えないんだ・・・」そう思いながら、脱力感で目の前が暗くなった。

でも彼のお陰で同じチームや選手を応援する仲間が沢山出来たし、そして行動半径が大きく広がるという 成果を得たのだ。
ありがとう!夢に向かって走り続け!これからもずっと陰ながら応援してるよ!


2000/3(平成12年) 2度目の美容室++
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前回美容室へ行ってからかなりのブランクがある。
大丈夫だろうか。
1度達成できた喜びはすっかりどこかへ飛んでいた。

とりあえず行ってみる。
だが中へ入る事が出来ない。
1時間程車の中で躊躇した末、その日は諦めて帰った。

数日後また行ってみる。
今度は中へ入れたが、すごい混みようだったのでまた断念。
そんな事が5回も繰り返され、6回目にしてやっと目標を達成する事が出来た。

執念深く通った甲斐があった。
だが、前回同様半分切り終えるまでは発作が続いた。
何度も店を飛び出したかった。

前回よりも苦労した為か、結局目標は達成出来たのに、前回のような喜びは無かった。


2000/3(平成12年) 病院のこと++
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いつも薬をもらいに通っている病院へ予約の電話を入れた。
いつも受付の人が出た後に医師に電話が変わる。
毎回この時が苦痛でたまらなかった。
今日もイヤミの一つでも言われるんだろうな、私が話し出しても途中で話をさえぎられるんだろうな。
そしてプライバシーもへったくれもない医者。
他の患者さんの話をベラベラと私にしゃべる。
きっと私の事も他の患者さんにしゃべっているに違いないと勘ぐってしまう。

私が13時に予約を入れたいと言うとその医師が「もっと早く午前中とかに来れないのかい? ボク、午前中で仕事やめたいんだよね」と一言。
この言葉を聞いて、さらにこの医者、そして病院に対する拒否反応が高まった。
その病院の受付時間は13時までである。
ただでさえ店じまいの早い病院なのに、この医師は趣味で病院を経営しているのだろうか。
そして追い打ちをかけるようなこの言葉。
「バスかなんかで来れないのかい?!」
私は公共の乗り物は今は乗れないと言っているはずなのに。
もうこんな病院行きたくない。絶対に。

もうその日は病院へ薬を取りに行く気も失せていた。
どうしようもなくて、母に代わりに行ってもらうよう頼んだ。
「今日なんか調子悪いから代わりに薬取りに行ってもらっていい?」
すると母の「何言ってんの!今日なんか忙しいよ!明日だって!」という第一声。
この人は私の体調などどうでもよいのだ。
それよりも自分の用事が最優先。
それは百も承知だったが、どうにもこうにも自分では行くことが 出来なくて私はSOSを出しているのに、それさえも気づいてもらえない。
「もういいわ…」といって、部屋へ戻った。

だからといって、自分で病院へ行けない自分が悔しくて、部屋で泣き崩れた。
結局は後になって母が病院へ行ってくれたのだが、それならどうして最初に行けないなどと怒鳴るように 私に言ったのだろう。
ますます母の気持ちがわからない。

その後、ある時母と言い争った時にその事を訴えた。
「結局は行ってやったんだからいいしょ!」の一点張り。
私はその事を訴えているのではない。
あの第一声で私がどれだけ傷ついたかを訴えているのだ。
この人は本当に自分の実の母親なのだろうか。


2000/6(平成12年) 家出++
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20代後半にもなって情けないのだが、その日親との衝突があり荷物をまとめて家を飛び出した。
タンカを切って出たのはいいが、こんな夜遅くどこへ行けば良いのだろう。
親は「どうせ姉の家にでも行くのだろう」と思っているに違いない。
実際、最初は私も姉の家へ逃げ込もうと考えていたのだが、それではせっかく家出をした意味がない。

そんな時、彼氏の事を思い出した。
ウチから約90kmも離れた彼の家。
今まで私の方からは遠すぎて怖くて一度も行った事が無かった。
でも行く所はそこしかない。
ダメだったら途中で戻ればいい。
そう思いながら車を走らせた。
途中で親から連絡が行ったのか、携帯に姉からの電話が入ったがとりあえず無視した。

私にとっては途方もなく遠く感じる距離をなんとか走り切り、真夜中彼の家へ到着した。
暖かく迎え入れてくれた。
暫くの間、私の頭の中は「帰り、この長い道のりをどうしよう」
ただそれだけが何度も頭の中で繰り返され、2時間位発作が治まらなかった。
彼は次の日仕事があったし、とりあえず寝る。

翌日、仕事の彼を送り出し、彼の部屋の掃除をする。
そんな中、なんだか昨日とはうって変わって親の事なんかよりも、こ んな遠い所まで来れたんだという達成感でいっぱいになり、薬を飲むのも 忘れていた。

お昼過ぎ、書き置きを残して彼の家を後にする。
帰りは予期不安など微塵も感じずに、ドライブ気分で歌なんかうたいながら姉の家へ向かった。

家出をした2日後、私は家へ戻った。
声もかけてこない、顔も合わせようとしない親。
今に始まった事ではないが、肝心な時には逃げる親なのだ。
だからこの状況には予想がついていた。

私が彼氏の家へ行っている間、姉は親と話をする為にウチへ来ていたそうだ。
母親は私の事を「病院にでも入ってもらいたい」と捨てゼリフのように吐いていたらしい。
なぜ私を産んだのだろう。
私が家を出ていった事を姉へ連絡したのは父、翌日の午前中私を心配して 携帯の留守電に「帰っておいで」とのメッセージを入れてきたのも父だった。
いったいどっちが母親なの?
親と顔も合わせない日は2,3日続いた。
早く親から自立しよう。静かに決意を固めた。

これは余談だが、私は子供の頃から親が憎かった。
毎週土曜日になると、家族は私を1人残し、全員がいなくなる。
私はまだ小学校低学年だった。
それもいなくなるのは仕事の為じゃない、遊びの為なのだ。

私は土曜日になると決まって自分のベッドで寝るのが嫌で、親のベッドに潜り込みながらTVを見ていた。
いつも一番最後に家を出ていく父に何度も泣きながら「行かないで」と訴えたこともあった。
しかしそれを振り切っていつも父は出ていった。
あんまり私がごねる時には100円玉を1枚握らせて、私を1人取り残していくのであった。

私は何度か自家中毒を繰り返した。
出来る事ならこの記憶を消し去りたい。


2000/6(平成12年) 転院++
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親からの自立の第一歩。
まずはこの体を少しでも早く治さなきゃ。
その為には、ただ薬をもらう為にズルズルと通っていた病院を変える事から始めなければいけない。
1番頭を悩ませていた問題。
ついに向かい合うべき時が来たのだ。

私は転院するならココにしようと決めていた病院へ向かった。
待合い室には2,3人の患者しかいない。
でも、とてもそこで順番を待つ勇気が無かったので、受付の人に その旨を伝えると、順番が来たら携帯に連絡してくれるよう配慮してくれた。

車の中で携帯に連絡が入るのをじっと待った。
何度も発作の波がやってくる。
辛い、逃げ出したい。何度となく経験してきた感覚。

しかし一向にかかってくる気配が無い。
待ち始めて40分が経過した。もう限界だ。
私は病院へ戻り「あまり体調が良くないのでまた来ます」と言ってその日は家へ帰ってきてしまった。

その後は凹んだが、今までは待つ事も出来なかったのに今日は40分も待つ事が出来たんだから…と、 それを自信につなげるよう自分に言い聞かせた。
その晩、某PD関連サイトの掲示板に今日あった出来事を書き込んだ。

転院を断念した翌日「また週を改めて行ってみよう」と気持ちを切り替えていた私は、なんとなく 昨日書き込みしたサイトへ行ってみた。
すると前日の出来事をすごくほめてくれた方のレスがあった。
私はそれを読んだとたん燃え上がるような勇気が沸いた。
「やっぱり今日も行ってみよう!」
時計を見た。今ならまだ間に合う。急いで車を走らせた。

病院へ到着し、ちょっと中を覗いてみた。
今日は混んでいる。
きっと昨日より待ち時間が長くなるに違いない。
ハァ〜とため息。
気を取り直して買い物にでも出かけることにした。

一通り買い物が終わった時、ふと時計を見た。
診察終了30分前だ。あともう一度だけ行ってみよう。
また混んでたら来週にすればいいや。

また中を覗いてみると待合い室にいた患者は1人だけだった。
昨日と同じ方法をとって、車の中で連絡を待つ。
今日はきっとさほど待つ事なく電話がかかってくるだろう。
早くこの時が来るのを待ち望んでいたはずなのに、その時は時間が止まってほしい気分だった。

けたたましく携帯が鳴った。
飛び上がりそうだった。
私の番が来たという電話。でも車から降りられない。
私はやむを得ず医師に電話を変わってもらった。
私は診察室へ怖くて入れないという事を医師に告げた。
「いいよー」と慣れた口調で話してくれる医師。

私は事前に診察の際、発作を起こして自分の症状がうまく口では説明出来なくなるかもしれないと思い、 全てを書き綴った手紙を受付の人に預けていた。
医師はその紙を見ながら私と会話をする。
次第に発作は落ち着いてきた。

その後、ついに診察室へ入る事が出来た。
多少の発作の余韻がありながらも、時間にして15分ぐらいだっただろうか、無事に診察を終える事が出来た。

私はついに今まで通っていた、あの嫌な病院から手を切ることが出来たのだ。
そして何より、親からの自立の第一歩を踏み出せた。
晴れ晴れとした足取りで家路についた。


2000/8(平成12年) サイト開設++
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私がよく訪れていたPD関連のサイトで知り合った、iモード版のメンタルサイトを運営していた あるお客さんと仲良くなった。
私はサイトを作れるほどの知識は全くなかった為、サイトなど開設しようなどと思いもしなかった のだが、その方も自分もネット初心者だと言っていて「それでも簡単に作れるよ〜」と私に言った。

どれどれ…?と何気なく開設の手続きをし、順を追って一つ一つコンテンツを組み立てていった。
でもその時はあくまでもどんな風に出来あがるのかがただ見たかっただけで、立ち上げるつもり などなかった。

しかし、あれよあれよという間に完成。
作ったはいいが、どうしようか。

散々迷ったが、作っているうちにこうして自分の力で自分の居場所を作るのもいいかも…と 思い立ち、不純な動機で作り始めたサイトも出来あがった頃にはその意識が変わっていた。

サイトを開設。
一人・・・二人・・・と、自分のサイトへ訪れてきてくれる人がいた。
なんなんだろう、この喜びは。
5万とあるサイトの中から、自分のサイトを選んでくれたという事に、私はどんどん喜びを 覚え、あれこれとコンテンツのネタを考えたりするのが楽しくてしょうがなかった。

この頃は、私の一つの生甲斐で、そしてこの場所は自分の居場所になっていた。


2000/10(平成12年) 一人旅++
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ここの所、精神的に凹む様な出来事が多々あり、ずっと鬱状態に悩まされていた。
家からもあまり出る事もなくあれこれ悪い事ばかり考えて、なんだかただただ無駄な日々を送っている ような気がしていた。

このままではいけない。
ふと、今の状態を打開するような心の革命的な事を起こしてみたくなった。
それにはきっと「発作」というリスクもあるだろう。
発作は怖い。でもじっとしていられない。

そこで思い立ったのが「一人旅」だった。
無理のない距離を考慮しながらも、目的地を行動半径外にあるはるかに遠い、約230q先の帯広にした。
この時期はとても微妙で、峠での雪も予想される。
ひたすら田舎道を通過する為、携帯の電波もその区間は届かない。
事故を起こす危険性だってある。

PD患者にとっては悪条件が揃っていた。
しかしこの数々の悪条件を乗り越えられた時、きっと自分の中での何かが変わる様な気がした。
少しでもモヤモヤを吹っ切る事が出来れば…そう願いながら眠りについた。

旅行当日、不思議なもので直前まではあれこれ不安を抱いていたのに家を出発した時から予期不安は 微塵も感じられなかった。
むしろ、時折雪がちらつきながらも北海道独特の広大な自然、果てしなく続く大地、また綺麗な紅葉と 絶景を横目にあっという間に目的地へ到着した。
約5時間の運転。
こんなに長い距離を運転したのは初めてだった。

ホテルへ行くまでの間、帯広の市街をウロウロ散策。
寒い。頬に突き刺さるような風。
でも達成感でいっぱいの私には少し心地がよかった。

ホテルに着き一息つく。
とたんに予期不安が襲ってきた。
そう、ここは家ではないのだ。
決まった時間になったらチェックアウトをしなければいけない。
一瞬3年前の旅行の悪夢がフラッシュバックされたが、しばらくベッドでボーッとしているうちに いつの間にかウトウトと眠りについていた。
かなり疲れているようだ。
今日は早めに休もう。また明日への挑戦の為に。

2日目、しばらく不摂生な生活で寝る時間は遅く、起きる時間はお昼近く、という生活が続いていたので 早く起きる事にものすごくプレッシャーを感じていた。
なにせ一人旅。
寝坊しても起こしてくれる人はいない。
その事で神経が尖っていたのか午前4時頃目が覚め、それからはずっとウトウトした状態で結局起床 したのは7時だった。

今日はホテルから約30q程の所にある「ワイン工場」へ行ってみた。
道中、またしても広大な自然が広がっていて「わぁ〜〜!北海道だぁ〜!」とアホな事を考えていた。
今まで27年間北海道で生まれ育ってきたが、初めてこんなに自然の多い地に生まれた事を誇りに思った。

そして目的地へ到着。
一歩一歩踏みしめて、しっかりとこの目にその景色を焼き付けた。
今日は発作も予期不安もない。
問題は明日の朝、チェックアウトの時だ。

最終日、「明日の運転は長丁場になるから早く寝てたくさん体を休めておかないと…」と思うと、昨夜は なかなか寝付けなかったが、なんとか7時半起床。
しっかりと体調を整える。
「ホテルをチェックアウトしてしまったらもう後戻りはできない」という観念から予期不安や発作が 起こるのでは…と危惧したがそれは大丈夫だった。
きっと今日1日運転するであろう、途方もない距離の方に気がいっていたんだと思う。
1番不安だった所もクリア出来、チェックアウト後帯広の街を後にした。

今日の目的地は富良野と美瑛(びえい)。
少々季節外れの場所だが美瑛へは数年前から1度は行ってみたいとずっと思い続けていた町だった。
PDである私が自分の力で、自分の足でそこへ向かっている。
ワクワクした。

噂には聞いていたが、ここの景色がこんなにも素晴らしいものとは思っていなかった。
すごく驚きカルチャーショックを受けたぐらいだった。
こんな素晴らしい景色を見たのは生まれて初めてだった。
PDの事など忘れてただただその景色に高揚するばかりだった。

それと同時に「帰りたくない」という感情が沸いた。
自分が発作の起きない安全な場所と認識しているのは自分の家と車の中だけ。
本来なら今の私にとってこんなに離れた所まで旅行に来るのさえ無謀な事なのだ。
そんな私が帰りたくないと思えるなんて…と思うと嬉しくて涙が出そうだった。
本当はこの辺でもう1泊ぐらいして帰りたいと思っていたのだけど、なにせ「貧乏一人旅」。
財布の中身が寒い状態だったので(悲)、帰らざるを得なかった。

さて、道のりは長い。そうそうゆっくりしていられる時間はないのだ。
いざ出発。
途中、いろんな所へ寄り道しながらやっと家にたどり着いたのは夜の9時半。
帯広を後にしてから丁度12時間が経過している。
運転中はさほど感じられなかった疲れがドッと出る。
思えば今日1日で約380qも運転していた。
全走行距離数660kmこれだけ走れば達成感を感じない訳がない。

この旅によってまた1歩も2歩も前進出来た。
一生忘れられない思い出がまた一つ増えた。
来年雪が溶けたらまた一人旅をしよう。
今度はもっと遠くまで。
次の目標が出来た。

その後、ベッドへ倒れ込んだ。


2000/11(平成12年) めざましい回復力。そして再びプチ家出++
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先月一人旅へ出て以来、今まで出来なかった事がいくつか出来るようになっていた。
遠くへ旅に出てかなり広場恐怖が克服されたのだろう。
今までは構えてかかっていた様な遠い所でも割と楽に行ける様になった。
そして今までは自分で運転する以外の車には乗る事が出来なかったが、助手席側でも平気になった。
数ヶ月前なら考えられない事だ。
いつどんなキッカケで突然こんな回復ぶりを見せるかわからないものだ。

広場恐怖がだいぶ克服されてきた私は、今まで自分の「なわばり」と思えていた、ほとんど発作を 起こさなかった自分の部屋がだんだん苦痛に思える様になってきた。
自分の部屋というより、現在住んでいる実家にいる事そのものが苦痛に思えてきた。

元々親との折り合いが悪かったので、ある程度体の調子が良くなれば家を出ようとは思っていたのだが 今まではそれが出来なかったのでずっと静かに耐えていた。
でも今は外出がほとんど思うように出来てきた。

チャンスだ。

私は1週間程、彼氏の家に滞在を試みることにした。
それが成功したらまた大きな自信に繋がるだろう。
そしてこの実家を出られる日もそう遠くはないと感じる事が出来るだろう。

8泊9日の彼の家での滞在。
多少の発作はありつつも、毎日ご飯も作ってたし掃除や洗濯も全部こなせていた。
普通に生活していく分には支障がなさそうだ。

そんな時、滞在中に彼から「もう一緒に住まないか?」と言われた。
私も迷わずうなずく事が出来た。
荷物があるのでいったん実家へ帰って親にも話して早めに家を出よう。
嬉しさや不安が混同しつつも足取りは軽かった。


2000/12(平成12年) 新生活++
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自分の両親に同棲の事を話すとなぜか、スムーズに快諾してくれた。
体の事は心配らしいが、なぜか親も嬉しそう。
私も出来ることなら円満に家を出るように持っていきたいと考えていたので、親の 反応にはホッとした。

プチ家出から一時的に帰省した1週間後、私は新たなる人生のスタートを切った。
25年以上も地元から離れて住んだ事のない私。
新しい環境になじめるだろうか。
少し不安もあるけど、心の大半は前を向いて歩き始めている。

ここ1年位横ばい傾向にあった回復ぶりが初めて上を向いている事を実感した時だった。
今まで生ぬるい環境にいた私。
これからが勝負だろう。
自分が決断した以上、甘えは許されない。
だからこそ慎重に自分のペースでゆっくりリハビリしていこう。