2001/2(平成13年) 一年ぶりの美容室++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 前回美容室へ行った時かなりの予期不安と発作に悩まされ、美容室に関してはかなりスランプ 状態に陥っていた。 でも1年も行ってないと髪もいい加減うざくなるし、どうしよう…と時々は思ってたのだが、 今日は意を決して行ってみた。 それも衝動的に思い立ち勢いに任せてすぐその日に行ったのだ。 外は猛吹雪で視界も悪く、まるで私がこれから乗り越えようとする壁をさらに高くし邪魔をしている ようだった。 いざ店に入ってみると客は誰もいない。 よかった、私だけだ。 そう思うだけで何となく気が楽になり嘘のようにスムーズに切る事が出来た。 前回のスランプを一気に撤回する事が出来、また大きな自信へと繋がった。 今度は今まで避けて通ってきた「シャンプー」にも挑戦しよう。 2001/3(平成13年) 転院後、二度目の診察++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 転院したのが去年の7月。 もうかれこれ8ヶ月ぐらい経っているのに、診察を受けるのは今日が2度目。 医者に相談したい事もあったので、診察を受けてみる勇気を最大限に出してみた。 それでも発作は起こる。 でも病院の中へ入る直前、車の中で深呼吸をしながら発作回避の為の色々な 選択抜を考えてみた。 「中へ入って混んでたら診察は次回にしよう」 「診察待ちをしている人が2,3人程度なら車の中で待っていよう」 「誰も居なかったら迷わず診察を受けよう」と。 幸い私が行った時には誰も患者はおらず、すぐに診察を受ける事が出来た。 やはり最初のうちは動悸が収まらなかったが、話しているうちにだんだん体がラクに…。 さっきまでの発作が嘘のよう。 そういえば今日、頓服薬を飲んでいない!! そんな事を思い出しながらみるみる自信とまた一つ壁を 乗り越えられた嬉しさがこみ上げてきた。 そして私はだいぶ回復してきているので、これからは抗不安剤は自分で調整しながら飲んでもいいとの事。 医者も私の回復ぶりを喜んでいてくれて、たくさんのエネルギー補給が出来た1日だった。 そしてなんとなく自分なりの発作の回避方法が把握出来てきた様な気がした。 2001/3(平成13年) 数年ぶりの温泉++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- PDになってからずっと避けてきた場所の一つであった温泉へ行った。 タダ券がありその有効期限が迫っているというキッカケで。 温泉はPD患者にとっては苦手な人が多いだろう。 「体や頭が泡だらけの時に発作を起こしたらどうしよう」という不安がまずたつはず。 私もそうだった。 でもなんとなく大丈夫な気がして挑戦してみた。 なんせ家のお風呂とは訳が違う。 大きさも違えば全く知らない他人と一緒に入らなければいけないのだ。 こんな悪条件の中、リラックスなんて出来るんだろうか。 でもいざ入ってみると「こんなもんか」という感じで、何ていうことなく温泉を堪能出来た。 「すぐに出たい」と思う事もなく、むしろ体も2回洗うほど。 ただ券がもう1回分あったので、翌日も同じ様にして行ってきた。 2001/5(平成13年) 外食恐怖克服への第一歩++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 極度の外食恐怖を持つ私にとって、その日は記念すべき日だったかもしれない。 近所の温泉で多少慣れていたという事もあり、帰省したついでに実家近くの公衆浴場へ挑戦する事にした のだ。 温泉というと「広い・混雑・すぐ帰れない」と三拍子揃った場所。 でも、すごく混雑した公衆浴場だったがお風呂は大丈夫だった。 上がってからなんとなく「なんかつまみたいな〜」と頭をよぎった。 しかし、外食恐怖の私はすぐに「でも…」と頭をかすめたが、まぁ重たい物を頼まなきゃ大丈夫かな? という気持ちで食堂らしき所へ入った。 軽い物を頼もうと思っていたけどやたらタコの唐揚げに惹かれ(爆)、 それと枝豆、そして飲み物を頼んだ。 外食という程の大げさなものではなかったけど、私はこの程度でもずっと抵抗があった。 でもおいしく食べる事が出来た。 とりあえず一歩を踏み出す事が出来たのが、すごく嬉しかった。 2001/7(平成13年) 4年ぶりのキャンプ++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 数ヶ月前から姉一家との約束をしていたキャンプへ行った。 PDにかかる年の夏に行って以来だ。 久しぶりな上に発症してからのまた新たな挑戦でもあったので、期待と不安が入り混じる。 場所は岩場の海。 しかしそこは「海水浴場」と名のついた場ではなく、トイレや水道など何の設備もない。 もちろん近くに店などない。 とにかく何もなく、食料から水の果てまで持参。 私にとっては、まさに原始的なサバイバルだ。 行く前日までは正直「あんな所で発作を起こしたらどうしよう」などと不安を感じる瞬間が多々あった のだが、当日になってみるとなんてことはなく楽しむ事が出来た。 翌日なんかは朝に1度基礎薬を飲んだだけでその後の服用は忘れるほど。 すっかりカンを取り戻し、自信をつけた私は、姉と次のキャンプの約束をした。 2001/9(平成13年) 3度目の引っ越し、そして結婚へ++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 婚約中の彼氏との結婚後の新居を春ぐらいからずっと探しつづけ、やっと引っ越しが決まった。 同棲を始めた家には約9ヶ月間住んだ。 まだ1年も経たないうちに引っ越しか〜と思うと腰も重かったけど、念願の引っ越しでもあった為、 胸が踊った。 正直、引っ越しに対しての不安がなかった訳ではない。 PD患者にとって落ち着ける「居場所」は必要不可欠なもの。 新居を「居場所」と思えるまでには結構な時間を要する為、慣れる事が出来るだろうかという不安が多少 あったけど、いざ始まってしまえばそれはとんだ取り越し苦労に終わった。 これで住居も確保出来たし、安心して入籍を果たす事が出来る。 PDになって丁度丸4年…。 4年前の私には4年後の今に結婚出来るなどとても想像もつかなかった。 回復する速度は遅くとも、人間の治癒力とは素晴らしいものだ。 引っ越しも一段落ついた頃、入籍をしようと決めたのが9/20である。 挙式も披露宴もナシ、婚姻届も私一人で提出しに行くという、なんともあっけない結婚だったけど、無事に 入籍を果たす事が出来た。 彼と出会って約3年、今まで色々な事があった。 ぶつかり合う事も多々あったけど、病気の事を理由に何かを言われたりなど嫌な思いをさせられた事だけは 一度たりともなかった。 それは本当に感謝している。 これから先、色々な事があるだろう。 また喧嘩もすればすれ違う事だってあるだろう。 これからの人生、あと何十年あるか分からないけど、ずっとこの人と人生を共にしていこうと思う。 そしてPDも今まで通りゆっくり克服していこうと思う。 2001/10(平成13年) 新しい家族++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 結婚し細々と二人でやってきたある日、新しい家族(犬)が出来た。 旦那と結婚する以前は、自分の病の事でいっぱいいっぱいで結婚しても子供も当分作れないと思っていた。 けれど、そんな自分にも少しずつ余裕が出来、熟慮に熟慮を重ねた上、飼う事を決断。 まだ幼い子犬なのでものすごく手がかかる。 しかしそれ以上に愛しい。 生き物を育てるだなんて過去の私には夢のまた夢だったけれど、今こうして現実となっている。 いつかは本当の子供が出来る日が来るかもしれないが、今は家族3人で楽しく過ごせる様努力をしよう。 2001/12(平成13年) PC版サイト開設++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 私はPC版のサイトを立ち上げることを、以前からずっと計画・構想を練っていた。 まぁ、これは一つの私の野望とでもいうのだろうか。 暮れも押し迫った時期になってから、私は何かにとりつかれているかのようにHP作成作業にとりかかって いた。 その3日後、このサイトは完成した。 これまで運営していた携帯版のサイトとは、まただいぶ違った雰囲気なんだろうな。 これを機に、また少しでも「パニック障害」という病が多くの人に認知されるといい。 そんな願いを込めて、作り上げていった。 これから、どんな風になっていくのかが楽しみだ。 |