2002/2(平成14年) 携帯版サイト閉鎖++
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約1年半もの間私はこの場を拠点としてネットをしていたが、限界を感じ閉鎖。
理由は色々とある。
一つ言えることは、当初はそこが自分にとって「居場所」と思えていたところが、そう感じる ことが出来なくなってしまっていたこと。
これは本来の自分の目的から大きくずれていることになり、私にとっては致命的なこと なのである。

沢山の方が訪れてくれていたために、私はかなり悩んだ。
もはやここは私だけの居場所ではない。
しかしあそこを管理する身として、中途半端に投げ出してしまうということは私には 出来ない。
だから、苦悩の決断をした。

私は「サイトの管理者」というものにとらわれ過ぎていた。
だから自分を変えるためにもこうするしかなかった。
閉鎖しないでほしいと沢山の声を頂いた。
本当に、申し訳ない。

PDの症状に苦しみもがき、藁をもすがる思いで駆け込んできていた人。
症状が改善されて、今まで出来なかったことが出来たことの嬉しさで、その報告をしてくれた人。
心に同じ傷を負った人に、励ましの言葉をかける人。
楽しい話題で、場の雰囲気を盛り上げてくれていた人。

本当に、沢山の人がいた。
あそこは私にとっては「永遠」のものと疑ってはいなかった。
でも、自分に見切りをつけなければいけない時がきてしまった。

後悔はしていない。
だから、まだ出来たてのこのサイトだけは同じ過ちを繰り返すまい。
このPC版では、「管理者」という意識ではなく「一人の患者」「一人の訪問者」という 意識でゆっくりと温めていこうと思う。

暖かい言葉をかけてくれたみんな、本当に有難う。


2002/8(平成14年) 会食克服++
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私の苦手なことの一つ、これは症状の一つとも言えるが「外食・会食恐怖」というものがある。
PD発症直前からほとんど外食や会食というものに抵抗を覚え、「食べる」という行為そのものにも 義務感を覚えるようになっていた。

そんな私だったのだがちょうどこの日、叔母の家へ行く用事があり出かけていった。
用が済んだらすぐに帰ろうと思っていたのだが、いろいろ話してるうちにすっかり長居してしまい 結局、叔母の強い勧めで夕飯を食べて帰ることになった。

出前の寿司を注文する叔母。
私はその瞬間から予期不安が始まり寿司なんかに手をつけられるだろうかと、ものすごい不安が 襲ってきた。
その間、レオン(犬)と遊びながら気を紛らわし、そして寿司は到着した。

目の前のテーブル一杯に寿司やほかの料理が並べられ、会食はスタートした。
緊張や不安でそれどころではない私だったが、なんとか箸を持ち、一つの寿司を手にしてみた。
一口・・・二口・・・
初めは味なんかわからないくらい胸が一杯だったが、少し経った時から「いちいち私の食べている ところなど、気にしている人なんていないだろう」と一種の開き直りのような頭の切り替え方を してみると少しずつ緊張が解けていった。

結局半分ぐらいしか食べることは出来なかったが、私にとってはものすごい前進。
色々理由をつけて帰ろうとしていた私だったが、この時ばかりはちょっと強引な叔母に感謝する程 だった。

その翌月は近所の友人宅で一緒にご飯を食べないかと誘われ、ふたつ返事でOKをして 行ってきた。
叔母の時でかなり自信をつけたのか、この日は見事に完食。
着実に、会食・外食恐怖克服への道を歩いていけてることを実感した。