2005/2(平成17年) 抜歯手術++
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歯科通院を続けて早1年足らず。
ゆっくりゆっくりと治療を行ってきていたが、時々医師から親不知抜歯の話題を振られていた。
3本の親不知。そして抜歯せざるを得ない状態にまで悪くなっている永久歯1本。
特に急ぎで抜かなくてはいけないというわけではないけれど、下左右の親不知は真横に倒れ埋伏している 状態だったので放っておくと隣りの歯にも影響を及ぼしてくるので、なるべくなら早く抜いたほうが良いと 告げられていた。

そう告げられてから数ヵ月後、この4本の歯の抜歯手術が決定した。
全身麻酔での抜歯、そして1泊入院を計画し準備を進める。

幾度となく恐怖と不安で眠れぬ夜を過ごした。
私はいつも飲み物をそばに置いておかないと落ち着かない性分で、家に居ても外出時でもペットボトルの 飲み物をお守りみたいに持ち歩くくらいだ。
しかし全身麻酔となると前日の夜からは飲食はNGになってしまう。
薬を飲みたくても飲めないし、気付け薬のように飲んでいる飲み物すら飲めなくなる。
術後には麻酔の副作用でまれに嘔吐や吐き気を催す場合があって、私にとってはまさに恐怖という雪崩が自分に向かって 転げ落ちてくるような状況だった。

なるべく考えないようにしようと努力していても、ふとした瞬間に「術前術後に発作を起こしたらどうしよう」という ことが数え切れないほどよぎった。 手術自体は過去にも経験があったのでさほど不安ではなかったけれど、私にとっての一番の恐怖は 手術前の恐怖を乗り越えられるか、術後体調を崩さないだろうか…というところだった。

医師はPDに関しては理解を示してくれていたので、手術前の検査で病院を訪れた際に自分のあらゆる不安を全て ぶちまけた。
そしてそれに対しての対処法を一つ一つ丁寧に説明してくれた。
本当に心強い病院だ。

【手術前日】
「とうとう明日か…」という意識はありつつも、逆に不思議と恐怖感は薄い。
深夜0時が飲食のタイムリミット。
23時頃にソラナックスを飲んで0時過ぎ就寝。

【手術当日】
朝9時からの手術の為、病院からの指示通り7時に最後の薬を服用。
支度を済ませ病院へ向かう。

到着した瞬間から急に恐怖心が襲ってくる。
だが不思議と逃げ出したいという感情よりも「早く麻酔で眠ってしまいたい」という気持ちのほうが強かった。
うがいをし、病衣に着替え帽子をかぶる。
手術室の準備が出来るまで数分間待たされていたのだが、ガタガタと震えていた。
そんな私を見た看護師さんが、ずっと私の冷たくなった手を握り励ましてくれた。
そして手術台の上に寝る。
点滴や心電図をつけられ酸素マスクを口に当てられた。
「深呼吸して下さい」という指示に従って深呼吸をしているうちに、意識がなくなる。

いよいよ4本の抜歯手術が始まった。

気がついたら既に病室へ戻ってきていた。
酸素マスクを装着して仰向けに寝ている私はしばらく意識が朦朧としていた。
「あぁ、終わったんだ・・・」
記憶が断片的で時間の経過の感覚が全くない。
意識はあるのに目が開けられない。
何度も「ここ、どこ?」と「今、何時?」という質問を繰り返す。
しばらくすると鼻の痛みに気づき、医師に訴える。
肺へ酸素を送り込むために鼻から挿管していたため、痛みが残っていた。

病室に戻ってきてから約1時間半後ぐらいから序々に意識が戻ったことを自覚し始める。
とにかく鼻の中が痛い。
そして抜歯した場所の痛みも感じ始めた。
ちょうどその頃、あのおぞましい発作が襲ってきた。

えも言われぬ焦燥感、体の震え、血圧の上昇…
私は朦朧とした意識の中「安定剤を入れて下さい…」と必死で訴えた。
朦朧としていても発作は起こすんだなぁ…。
その後ほどなく安定剤の点滴を注入され、10〜15分後に血圧が正常に戻った。
午後1時ぐらいからやっと体調も取り戻し、意識もはっきりしてくる。
起き上がれるようになりまず最初にうがいをさせられたのだが、口の中は血まみれでゆすいだ水は 真っ赤になっていた。
点滴を引っ張ってトイレへ行く。
まだ少しフラフラしていた。

幸い麻酔の副作用の吐き気はない。
それを確認出来た嬉しさで、傍で見守っていた家族としゃべりまくる。
お茶をちびりちびり飲みながら、ゼリーを食べてみる。
ついさっきまで全身麻酔を受け、意識も朦朧としていたのに、なんだこの変わりようは。

それからは口の中の痛み以外はまったくもって健康体。
食欲も回復し、夕食は半分ほど食べる。
本当はもっと食べられそうだったのだけれど、口の中が痛くて噛めない。

とにかくヒマ。
今日にでも帰れそうなぐらい元気なのに、病院の規則で一泊しなければいけない。
無事に抜歯手術を終えられたという嬉しさでテンションが高い。
が、個室での入院だったため話し相手もいなく、ずっとテレビを見て過ごしていた。
夜もなかなか寝付けず、ウトウトとした浅い眠りのまま夜が明けた。

【手術翌日(退院)】
検温をし朝食を食べる。
昨夜の夕食もそうだが、お世辞にもおいしいとは言いがたい食事。
申し訳ないと思いつつも半分ほどで断念。

麻酔科の医師が退院許可を出しに様子を見に来る。
すっかり元気な様子を見て安心してくれた。
次に担当の口腔外科医師に消毒がてら口の中を診てもらう。

そして退院。
お世話になった医師や看護師さんにお礼を言って、晴れやかな足取りで病院を後にした。


今振り返ると、最も苦手な歯医者さんで、しかもPDもまだ完治せぬうちにこの一大事を 乗り越えられたということが未だに信じられない。
意識的に思い出しながらじゃないと実感がなく、その実感が沸いてくると嬉しさがこみあげる。
また一つ大きな自信を得ることが出来、次のステップへと繋がる。

神様はいつも同じタイミングで乗り越えられるか乗り越えられないか…のギリギリの難問を私に与えるような 気がする。
一つの山を乗り越え、ちょうど落ち着いた頃、必ずその壁はやってくる。
その度に不安や恐怖を味わいながらも、なんとか乗り越えられてきた。
その壁は来るべくして訪れるのだろうか。

また次の目標へ向かって頑張ろう。
この気持ちを忘れることなく。


2005/9(平成17年) 関西旅行へ再び++
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抜歯手術でまた一つ自信をつけ、私の更なる野望は「飛行機での旅行」だった。
PD発症以来、旅行へは何度も行っている。
しかしそれは全て「車での旅」。
これまで石橋を叩いて渡るように沢山の事を克服してきたけれど、飛行機に乗るというのは
私にとってイコール「PD克服の最終段階」というイメージがあった。
ここまでクリア出来れば、この病を抱えていても大抵のことはなんとか上手にこなせる。
そんな気がしていた。

私の夫の地元は大阪で、結婚して4年も経つというのにまだ一度もこちらから
ご挨拶へ行っていないことがずっと気がかりだった。
飛行機に乗れるようになったら、まず一番に大阪へ行きたい。

そうしてチャンスは訪れ、夫婦揃って夫の地元大阪へ帰省することになった。
私がPDのきっかけになる発作を起こしたのもまさに関西旅行の最中で、
私にとってあの地は少々鬼門になっていた。
時期もちょうどこの頃。
しかも公共の乗り物はまだ何一つクリアしていなかった。
乗る機会もなかったけれど、いきなり飛行機に挑戦しても大丈夫なのか?と不安はあったが、 私の意思は固かった。

飛行機やホテルの予約を取った後、時々リアルな不安に襲われる。
夜も眠れず、夢にまで襲われる日も少なくなかった。
自分で決めておいて不安になるのもナンだが、こればっかりは通らなくてはいけない道。

そうしていよいよ出発の日を迎えた。
空港でチェックインを済ませ搭乗するまでの間、やはり予期不安に襲われていた。
アロマの香りを染み込ませていたタオルを鼻に当て、意識的に深呼吸を繰り返す。
「大丈夫、大丈夫。」
そう自分に言い聞かせながら機内へと入っていった。

ちょうど非常口付近の席だったため、目の前でドアが閉められる。
この瞬間から体調も一気に急降下するものと覚悟していたのだが、意外や意外、それまでの不安が ウソのようにスーーッと消え去っていった。

「これなら帰りも大丈夫そうだ。」

そう思えてから私はそれからの旅を存分に楽しむことが出来た。
伊丹空港へ降り立った後、すっかりお腹を空かせていた私達はホテルのチェックインと共に 部屋で腹ごしらえをした。
ここまで来れたんだという嬉しさで居てもたってもいられず、早速レンタカーで兵庫へと向かう。
買い物をしたり六甲や神戸からの夜景を楽しみ初日は終わり、翌日も大阪城をはじめとした 市内観光、私の仕事の取引先へ足を運んだりとあらゆるところを周った。
疲れなど忘れたように、私は歩き回った。

そして3日目。
今回の旅行の最大の目的は夫のご先祖のお墓へご挨拶に行くこと。
朝から姑をまじえて3人でお墓へと向かった。
あぁ、やっと来ることが出来た。
無事にお参りを済ませ、3人で食事へ行ったあと姑とは別れ、最後に泊まるホテルへと チェックインをした。

この時初めて体の疲れを感じ始めた。
一番の目的を果たすことが出来たからだろうか。
「なんとかお墓参りを済ませるまでは…」と知らず知らずのうちに気張っていたのかもしれない。
それまで張り詰めていた緊張やテンションが一気に解放されたかのように、安堵感と共に 私の体の筋肉が解きほぐされていった。

しかしこのままホテルに篭っているのももったいない!
明日は観光する時間もなく帰りの空港へ向かわなくてはいけないし、見て回れるのは今日が最後。
少々無理をしてでも思い残すことのないよう歩きたいという一心で、また観光へと向かった。

ホテルへ戻り、腹ペコだった私達はホテル内のレストランへと入った。
体は相当な疲労を感じていたが、お腹も空いていたし外食も大丈夫だろうと思っていたが、 料理が出てくるまでの間に朝以来薬を飲んでいなかったことを思い出し、慌てて服用した。
しかし疲労も手伝ってか急に不安感が増してきた。
一品目が出てきた時「やっぱりダメだ。」
そう思って、旦那を一人残し部屋に戻ってきてしまった。

ちょっと無理をしてしまったかな。
大丈夫だろうと調子に乗るとすぐコレだ。
結局明日に備えてその日の外食は諦めた。

深夜になり、私はなんとなく眠れずにいた。
眠るのがもったいなかったという表現のほうが正しいかもしれない。
「今日が最後の夜か…」と思うとなんだか感慨深くて、しばらく部屋の窓からの夜景を眺めていた。
最後の日だけはここまで来れたことへのご褒美のつもりで、少しいい部屋を予約していた。
最上階から眺める景色は本当にキレイだった。
今日のこの日を忘れませんように…と願いながら、その景色を深く目に焼き付けた。

最終日。
今日は早めに空港へ行ってお土産を選んで帰るだけ。
かなり早めに到着してしまった私達は早々にお土産を選び、チェックインを済ませた。
その時、帰りの飛行機への不安は皆無だった。

前日の予期不安を少々朝まで引きずっていたため、朝食は少ししか取れなく、 お腹が空いていた私はサンドイッチを買って食べた。
なぜかそれから急に再び予期不安に襲われてしまい、不安と共に飛行機へと搭乗。
カツサンドなんてしつこい物を食べなければ良かったと、少し後悔する。

私の後ろの座席には子供が座っていた。
飛行機に乗るのが楽しいのか、無邪気にはしゃいでいる。
私の背もたれについているテーブルを出したり閉まったり…と、時々私の背もたれが揺れ、 さらに気分が悪くなる。
楽しそうにしている子供に罪はないし…などと考えながら、窓のほうにもたれかかって目をつぶりしばらく耐えていた。
窓の外はあいにくの天気のようで機体の下は厚い雲で覆われていた。
せめて綺麗な景色が見えたら、少しは気が紛れただろうに。

半分ぐらい時間が経過してからだろうか、ようやく体調も回復してきた。
飛行機から降り、清々しく少し冷たい空気を吸った瞬間、なんとも懐かしい安堵感を感じた。
あぁ、帰ってきたんだと。

その晩は泥のように10時間も眠ってしまった。
一夜明けると昨日までの旅行が、なんだか夢だったかのように感じた。
でも夢じゃない。
荷物もお土産もある。
なぜか不思議と「生きてる。」という実感が沸いてきた。

今回の旅行は本当に沢山の人に応援され、待っててくれる人がいて、いろんな人が見ていてくれたんだなと 実感した。
実際そこへ行ったのは紛れもなく私の体だけれど、なんていうかその人たちのお陰でこの体が 動くことが出来た、みたいな気がする。
また大きく行動半径が広がった。
これからも時間とお金が許す限り、いろんなところへ行きたい。