2006/9(平成18年) 妊娠そして出産++ -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 去年の関西旅行へ行く少し前ぐらいから、ぼんやりと、そして具体的に考え始めたこと。 「子作り」 三十路を過ぎている年頃もあり、「子供を持つ」ということにかなり心が揺れ動いていた。 女にはタイムリミットがある。 しかしPDを完治したとは言えないこの状況で、果たして子供を作ってもいいものなのだろうか。 自分に子育てなど出来るのだろうか。 ・・・なんて思いとも随分葛藤した。 夫婦二人の生活も悪くない。 子供を持たずこのまま夫婦二人で過ごしていくのも、それはそれでアリだと思う。 でもやはり頭をよぎるのはタイムリミット。 そのタイムリミットを過ぎた時、自分は子供を持たなかったことに対して後悔しないだろうかと考えてみた。 もちろん子は授かりものであり、自分の思うように出来るものではないけれど。 出した答えは「やっぱり欲しい」だった。 そんな矢先、2006年1月に妊娠が発覚。 なんていうタイミングなのだろう。 もしや…と思い妊娠検査薬で調べハッキリと陽性が出た時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。 妊娠が分かり、とても嬉しく感じた反面、不安も大きかったのは事実である。 こうして私の妊婦生活はスタートした。 嘔吐恐怖を持つ私にとって一番の不安は、つわり。 なんといってもこれに尽きる。 約2〜3ヶ月もの間、毎日の胃のむかつきや食欲不振に襲われた。 味覚は変わるしニオイにも敏感。 それまでの食生活とは一変した。 でもお腹の子のために…と、減薬にも励んだ。 幸い一度も吐くことはなくなんとかツワリの時期は乗り越えた。 私のツワリは比較的軽いほうだったのかもしれない。 体重管理や健康管理など、それなりに大変なことも多かったけれど長い妊婦生活もなんとか 乗り越えることが出来、いよいよ臨月に突入した。 お腹も随分と大きくなり、いちいち動くのがしんどい。 トイレは近いし、胎動も激しく、一日も早く出てきてほしいと祈る毎日。 と同時に、早く産まれてきてほしいと思う反面、その時が刻一刻と迫ってくることに恐怖感も感じていた。 ある日の夕方、20分間隔ぐらいでお腹を壊したときのような下腹部痛を感じた。 出産は初めてのことなのでそれが陣痛であったとは半信半疑だった。 それが陣痛であるのだと確信してから、陣痛の合間の痛みが治まっている時間、体の震えが止まらなかった。 未知の恐怖を目の当たりにする時が来たからである。 何時間この痛みに耐えれば終わりが来るのだろう。 先の見えない恐怖ととてつもない痛みに、ただ耐えるのみだった。 午前1時に病院に到着し、陣痛室へ入る。 そこはベッドが2つあり、もう一つにはまさにピークの陣痛に耐えている先客がいた。 カーテン越しに聞こえる唸り声を聞いていると、えも言われぬ恐怖が私を襲ってきた。 もうそれがただの恐怖なのか予期不安なのか、訳が分からない。 ペットボトルの飲み物を飲み、タオルを握り締めながらただただ耐える。 しかしとうとうたまらなくなってしまった私は、陣痛の間個室へと移動させてもらった。 個室に移動してから旦那の手を握りながら数時間陣痛と格闘。 いよいよ分娩というところに来て、またもや分娩室には先ほどの先客が分娩真っ最中。 分娩室にも分娩台が二つあるのだ。 助産師さんからの計らいで、今は誰もいない陣痛室で産もうということになった。 とにかく産婦がリラックスできないことにはお産も進まない。 恐怖に震える私のために、助産師さんはあれやこれやと励ましてくれた。 分娩が始まってから1時間余り、大きな産声と共に元気な男の子が産まれた。 「やっと終わった・・・」 それまでの恐怖や震えはどこへやら、私は安堵と嬉しさで何とも言えない気持ちが込み上げてきた。 私の胸の上に産まれたばかりの赤ちゃんが乗せられ、しばらくそのままベッドの上で過ごした。 この子がずっと私のお腹の中にいたんだなぁ・・・ 肌の色が真っ白で、手も顔も何もかもがちっちゃい。 言葉にならない感動と共に、私の子育て生活はスタートした。 |